すべての始まりは、ルナダイバーが放った1発の機動爆雷であった。機動爆雷は敷設地点に潜伏し、目標発見と同時にランダム加速で敵艦目がけて突入し、至近距離で自爆、爆散片で攻撃する兵器であった。
第266恒星間輸送艦は、月へあと数日という地点でこの機動爆雷の攻撃を受け、爆散片により大破してしまったのである。
すぐに輸送艦からは救難信号が発信され、シュトラール軍の月軌道展開部隊の一部が救難活動に出発した。しかし、救難隊は第266輸送艦に到着すると同時に消息を絶ってしまった。
シュトラール軍の通信を傍受していた傭兵軍は、陸上兵器を満載してシュトラール本国からやってきた第266輸送艦の遭難を察知し、それを拿捕すべく部隊を派遣した。
拿捕部隊からの通信が途絶して丸一日が経過した。傭兵軍は何が起こったのかを調べるために偵察を出すことにした。
バナナボートカプセルが分離し、1機のシーピッグが宇宙へと放出された。
ネコ中尉は、機体のどこにも問題が無いことを確認すると、司令部へ短い通信を行った。自分のいる場所が、地球を遠く離れたところにあることを通信のタイムラグによって知ることができた。
第266輸送艦から発信される救難信号を機体の電子戦装置が捉えていた。救難信号の他に発信されている通信波は無く、乗員の生死などの状況はまったくわからなかった。ネコは、居るはずである味方やシュトラール軍の通信などを捜索したが、それらも全く捉えることができかなった。
シーピッグを第266輸送艦に向けてゆるゆると加速させていく。ネコとしては、何か嫌な予感がしていたが、命令とあれば何らかの事実をつかむまでは帰るわけにはいかなかった。
電子戦装置は相変わらず救難信号を捉え続けていた。ネコは信号音をヘッドホンに回すことをやめた。静けさがやってきた。宇宙の静けさである。傭兵になる前は、優秀な船乗りだったネコにとって、宇宙の静けさはある種の安心感をもたらすものだった。装甲宇宙服の閉鎖環境も、子供時代を閉鎖環境服を着て鉱山で過ごしたネコにとっては慣れたものである。
数時間の航行の後、進路方向に一つの光点を発見した。それは目指す第266輸送艦に違いなかった。光点は光の強弱が変わることは無く、回転運動をしていないことを示していた。間接視認システムを望遠モードに切り替え、第266輸送艦の姿を捉えようとした。何とか第266輸送艦の姿を見ることができた。
第266輸送艦は、ポピュラーな汎用輸送艦で、骨になった魚のような形をしていた。艦首にブリッジがあり、魚の骨の部分がメインシャフト、魚の肉の部分に輸送コンテナが搭載されていた。尾部はメインエンジンで、大型エンジンと4基の推進剤タンクが装備されている。
徐々に近づくと、艦体の状況がよくわかるようになってきた。爆雷の爆散片はメインエンジンを破壊していた。コンテナの一部には損害が確認されたが、乗員の生命維持に関する部分にはそんなに損害があるようには見えなかった。
ネコは艦の周囲に視線を走らせた。敵味方合わせて、少なくとも十数機の装甲スーツが第266輸送艦に到達しているはずであった。それらの姿は全く見つけることができなかった。
望遠モードから通常モードに切り替えても艦体が良く見えるようになった。あと数分で艦体に取り付くことができる。
ネコは機体を動かし、ブリッジの方に向かった。乗員が窓越しに見えるかもしれないと思ったからだ。通信機を破壊されてしまったため、救難信号以外の通信ができなくなっているやもしれなかった。そうなれば、ブリッジでこちらを確認できれば、光などによる交信が試みられる可能性は大だった。
しかし、ネコの予想は裏切られた。ブリッジに人影は無く、明かりも落とされていた。全くの無人だった。
機体を艦体に着地させる。何があるのかを知るためには、艦内に入る必要があった。シーピッグのメモリバンクから汎用輸送艦の情報を引き出し、自分の知識と照らし合わせる。ブリッジ近辺には装甲スーツが入れるようなエアロックは無く、メインシャフトの前方にあるだけであった。ネコは艦体表面を歩き、そのエアロックに向かった。
エアロックは記憶の通りの場所にあった。バス程度の大きさのある荷物を出し入れできるだけの大きさがあるため、扉も巨大であった。外扉に傷は無く、特に誰かが何かをしたという形跡は見られなかった。
ネコは扉の向こうに空気が無いことをインジケーターで確認すると、扉を開けるためのスイッチを押し込んだ。扉は何事も無く開いた。
中は真っ暗であった。ネコは赤外線暗視装置を作動させ、エアロックの中を見回した。攻撃を受けた船にしては何事もなかったかのように整然としていた。外扉を閉じ、エアロック内に空気を充填する。
エアロックが通じているメインシャフトには空気が、それも呼吸可能な空気があることがわかった。それは生存者の存在を暗示させるものであった。が、シュトラール軍の救難隊と、傭兵軍の拿捕部隊はいったいどこにいるのであろうか? ネコは空気の充填が終わるのを確認して内扉を開いた。
直径30m、長さ200mはあるかというメインシャフトの内部は真っ暗であった。暗視装置を使っても、50m程度の範囲しか見えなかった。シャフトの壁面には荷物搬送用のレールや配管が走り、中には移動途中で止まっているコンテナがあったりした。ネコはシャフトの内部に機体を進めた。もちろん内部は無重力であり、シーピッグは音も無くシャフトの中心を飛んだ。
ネコはシャフト内部に差し込む光の存在を見つけた。それはシャフトの壁の一部から差し込んでいた。間接視認システムを赤外線から光学に切り替えると、真っ暗な壁の一部、ちょうどドアの形に光が漏れているのがわかった。
ドアの大きさは高さ2m、幅1.5mほどあり、搭載されているコンテナへの通路であることがデータからわかった。ネコはドアを開けるスイッチを探り当て、ドアを開けた。
途端に光が周囲にあふれた。便宜上天井にあたる部分の発光パネルがまばらだが点灯しており、裸眼でも十分周りをみることができるほどであった。ネコはシーピッグを通路に入れた。
さすがにここから先は装甲スーツで行く事はできなかった。ネコは機を降りて探索を続けることを決意した。
司令部への通信を行う。しかし、艦内に深く入ってしまったためなのか、司令部からの返信を捉える事はできなかった。ネコは電子戦装置を使い、艦内の通信状態を確認した。通信波や何か意味のある電波を拾うことはできなかった。あの救難信号を除いては。
シーピッグを着地させ、無重力状況下で機体が漂い出さないようにアンカーを打ち込む。機体の固定を確認すると、ハッチオープン、機を降着状態にする。
ぼんやりとした光を発する発光パネルに照らされた薄暗い通路。ネコは宇宙服を兼用しているパイロットスーツのブーツでそこを踏みしめた。ヘルメットの開けたHMD(ヘルメットマウントディスプレイ)内蔵のバイザーが視界の邪魔なので、思い切ってヘルメットを脱ぎ、いつでも装着できるようにスーツの後ろ襟にぶら下げる。機の背もたれの後ろにある小物入れから低反動ガンを取り出し、弾倉を装填する。
低反動ガンを構えたまま、通路の奥を目指して進む。発光パネルは通路の奥に行くにしたがい数が少なくなり、暗さが増していった。
角を曲がる。シーピッグが見えなくなることに一抹の不安を覚えたが、先に進まなければならなかった。
飛び飛びに光る発光パネルが何かを導くかのように通路を照らしていた。この通路は乗員の居住コンテナにつながっているらしかった。もしかすると、生存者が救難隊を導くために発光パネルを操作したのかもしれないと、ネコは思った。
何度か角を曲がり、コンテナの奥へと進んでいく。何かおかしいと、ネコは思い始めていた。生存者がいるのなら、何らかの反応があるはずだと。それに余りにも整然としすぎているとも。どんなにきれい好きが乗っていたとしても、生活臭があるはずである。
低反動ガンを握る手が緊張で汗ばんできた。何度か手を振って緊張をほぐそうとするが、汗は止まらなかった。
空調の音だけが通路に響く。その中をネコはどこにも足をつけずに進んでいく。
臭いがした。
閉鎖環境特有のすえた臭いの中に混じり、ある特有の臭いが漂ってきた。
ネコは銃の安全装置を外した。その臭いに心当たりがあったからだ。
血の臭い。それと肉の腐った臭い──
ネコの目の前にドアがあった。居住コンテナの中で最も広い空間である多目的ルームへつながるドアである。
大きく息を吐き、ドアを開くスイッチを押すと、二三歩下がった。ドアの向こうに広がる光景に予感があったからだ。ここに死体があると。
ネコは壁を蹴って部屋に入り込んだ。多目的ルームは、家具がすべて片付けられ、ただの四角い空間になっていた。そこに、ネコが見たくないと思っていたものがあった。
遺体は部屋の四面ある床に等間隔に並べられていた。
何かがおかしいと、ネコは思った。
遺体の多くは激しく損傷していた。まるで大きな鉈か何かで叩き割られたかのように。
最初は艦内に飛び込んだ爆散片による損傷かと思ったが、艦体にあった損害を見るからにはこんな多数の死体が生まれるはずはなかった。
違和感の理由がもう一つあった。
乗員以外の服を着た死体があることだった。
明らかにシュトラール軍のパイロットスーツを着た死体があるのだ。
ネコはその横の死体を見て恐怖に身を震わせた。
そこにあった死体は、傭兵軍のパイロットスーツを着ていた。そして、その死因は明らかにレーザによるものであったのだ。
死体の数はざっと数えて30体はあった。乗員の数、救難隊のパイロットたちの数、拿捕部隊の傭兵たちの数、それらを合わせると30数人となる。
ネコは思い切って死体の一つに触ってみた。もちろん死んでいるので反応は無い。もう一度触る。重い。押してみる。動かない。死体を探ってみてその理由がわかった。死体は金属片で壁に釘づけになっていたのである。
ネコは自分の呼吸が荒くなるのを感じていた。考えたくないが、考えねばならない事があった。
誰が、これをやったのか。
死体を並べ、壁に釘づけにする。なぜ、なのか。
ネコの本能が危険を告げていた。早く逃げろと。
壁を蹴り、多目的ルームの出口へと向かう。
薄暗い部屋の中で、何かが動いた。ネコはそれを周辺視野で見ると、そちらに身を反転させた。
壁パネルの一つが宙を漂っていた。その後ろには闇が広がっていた。
そこで何かが動いた。
ネコが銃を向けると同時に、パネルを弾き飛ばして巨大な手のようなものが伸びてきた。手はネコの身体をかすめ、ヘルメットを引きちぎった。ネコは引き金を引き、弾倉1個分の銃弾をその手に向かって放った。手の表面で火花が散り、手はもだえるように闇の中へ消えて行った。
ネコは逃げた。もう一瞬の躊躇もできなかった。そしてすべてを察した。
あの手の持ち主が全員を殺し、自らのトロフィーの陳列室を作ったのだ。
通路の壁を蹴って飛ぶ。発光パネルが次々に消えていく。通路が闇に満たされていく。しかし、普通の人なら手も足も出なくなるところだが、船内生活が長かったネコにしてみれば、暗闇の通路を迷わずに戻ることぐらいは簡単な事であった。
シーピッグに衝突するように到着すると、低反動ガンを投げ捨て、素早く機体に乗り込む。
ハッチを閉じ、機内を空気で満たす。ヘルメットを飛ばされたため、機体の気密が破れたら死が待っている。
アンカーを切り離し、シーピッグはドアを抜けてメインシャフトへ出た。
先ほどとは違い、メインシャフトは光に満ちていた。そして、"それ"はそこにいた。
シャフトの奥、脱出するために行かねばならないエアロックのあるところに"それ"はいた。
"それ"は何者にも似ていなかった。陸戦ガンスの胴体にグローサーフントの上半身が載り、胴体からはケーファーの脚が5本伸びていた。しかもグローサーフントの上半身には、3つのグローサーフントの頭と、2本のレーザアーム、長細いパワーアームがついていたのだ。上半身や胴体からは長いコードや何やらわからないパーツがぶら下がり、脚も胴体の下に円を描いていた。悪魔「ブエル」と魔獣「ケルベロス」をごちゃまぜに足したような姿だと、ネコは思った。
"それ"はネコのシーピッグを見ていた。そして、自分の正体を知ったネコに怒りをぶつけるように、やおら攻撃してきた。2本のレーザアームを別々の角度に構えて発砲し、上半身の左右にごってりと積んだ6連装のシュレックから2発のロケット弾を放ってきた。ネコはコンテナの影に素早く身を隠し、それらをかわす。
攻撃は熾烈だった。"それ"はパワーアームを使ってノイパンツァーファウストまで撃ってきた。コンテナが攻撃に耐えきれずに破壊され、爆風にシーピッグは吹き飛ばされた。
シャフトの奥まで吹き飛ばされたネコは、スラスターを吹かして何とか軟着陸した。
足元に何かがあった。見下ろすとそれがファイアボールやフリーゲであることがわかった。ネコは何が起こったのかを理解した。"それ"が乗員を殺し、救難隊や拿捕部隊を罠にはめ、皆殺しにしたのだと。
見上げると、"それ"が蜘蛛のようにシャフトの天井に張り付いているのが見えた。何が起こって殺人ロボットが生まれたのか。あの身体のどの部分が"それ"の主体なのか。ネコにはわからなかった。一つ言えることは、ここを脱出しなければ、自分もあの部屋のトロフィーの一つになるということだった。
ネコは足元を再び見た。殻を割るかのようにむりやりこじ開けられた跡のあるファイアボールがあった。ネコはそれを持ち上げた。シーピッグのパワーアシストがあるとはいえ、装甲スーツを持ち上げるというのは大変な事であった。ネコの怪力はそれを可能としたのである。
気合とともにファイアボールの残骸を"それ"目がけて投げつけた。無重力のシャフト内をファイアボールが漂うように飛ぶ。ネコはさらにもう1機のファイアボールとフリーゲを持ち上げ、投げた。そしてフリーゲ2機を頭上にさし上げるとスラスターを吹かした。
"それ"は、飛んでくるファイアボールをシュレッケで迎撃した。爆炎が拡がる。もう2つの残骸もシュレッケが直撃する。
爆炎を突き抜けてネコが突進する。シュレッケの最低射程を割り込んだため、"それ"は2門のレーザでネコを撃つ。しかし、レーザはネコが盾にしたフリーゲの残骸に当たっただけだった。
ネコはそのまま"それ"に体当たりした。フリーゲの残骸を押し付けたままスラスターを目いっぱい吹かし、"それ"をシャフトの奥へと押し込む。
ちらりと横を見ると、エアロックの内扉が見えた。ネコはレーザアームを持ち上げると、薙ぎ払うように"それ"を撃った。至近距離から直撃を受けた"それ"の首の一つが飛ぶ。さらにレーザアームの付け根が破壊される。
ネコは返す刀でエアロックの内扉をフルパワーで撃った。装甲などされていないエアロックの内扉と外扉は、レーザの照射に耐えきれずにへしゃげ、そして破壊された。
空気が爆発した。猛烈な風となってメインシャフトから空気が外へと吸い出されていく。ネコはその流れに乗ってエアロックを通り抜け、外へと飛び出した。
第266輸送艦から外に出たネコは、十分な距離を取ると振り返った。
エアロックからの空気の流出は止まったが、その勢いで第266輸送艦はゆっくりと回転を始めていた。
何度目かの回転の後、ネコはエアロックの付近に新たな影が現れたことに気づいた。
その影は"それ"であった。残った二つの頭で恨めし気にネコを見上げていた。ネコは"それ"を直接攻撃する方法は取れなかった。艦体の回転速度が速すぎて、十分な照射時間を持続できないからである。
わずかな時間ネコは考えた後、レーザの銃口を第266輸送艦に向けた。そして撃った。
ネコが狙ったのは、艦体後部にある大型推進剤タンクであった。残ったパワーをすべて振り向けて、4つのタンクを順繰りに照射していく。
光が走った。臨界に達した推進剤が爆発したのだった。タンクは次々に爆発し、第266輸送艦は炎に包まれながらバラバラになっていった。"それ"の姿も炎の中に消えた。
第266輸送艦だった残骸は、月への軌道から外れ、天頂方向へ向かって加速していった。ネコは残骸が光の点になるまで見送った。
ネコは大きなため息をついた。思いのほか推進剤を使ってしまったため、月への帰還は予定より時間がかかることになってしまったのだ。
司令部に通信を送る。タイムラグの後返信がある。ネコは第266輸送艦の破壊を報告し、回収船の出動を要請すると、通信を切った。
宇宙の静けさが戻ってきた。
ネコは軍規違反であるが誰もが装備しているラジオを起動させ、海賊放送局の電波を電子戦装置を使って探った。何とか1局の電波を受信し、コンソールのスピーカーから雑音混じりのジャズが聞こえてきた。
しばらくすると雑音がひどくなってきた。ネコは舌打ちし、雑音を引き起こす原因を探った。それは海賊放送局より近くに存在していた。
電子戦装置が電波を受信する。
あの救難信号を──