雪は夜明け前にやみ、飛行場は白一色に染められていた。
飛行場の管理を担当する兵士がモーターグレーダーを動かし、手際よく滑走路の雪を取り除く。雪の下から現れた滑走路はグレーダーのブレードに磨かれた薄青色の氷面だった。
あらかた除雪作業が終わると、滑走路に湖畔の森の中で整備を行っていた機体が曳き出される。氷上の仮設飛行場には滑走路とエプロンの区別はない。偵察と上空の警戒を担当するJ40(S)にパイロットが歩み寄り、整備兵とともに最終チェックを行う。パイロットはシートに座り、キャノピが閉じられる。
ホバー戦闘機特有の排気音を響かせながらJ40(S)が飛び立つ中、滑走路に異様な姿をした航空機がドーリー(台車)に載せられたまま並べられた。
反重力装甲襲撃機"ファルケ"。
航空機といっても翼は無く、前方に突き出された丸太のような双胴と、コクピットを納めた中央胴は揚力を生み出すことなぞ全く考えられていない形をしていた。ファルケはベルヌーイの定理によって生み出される力で飛行するのではなく、重力に反発する力によって「飛行」するのである。さらに機体にはパイロットが外を見るためのキャノピといった開口部も無かった。この飛行機は、文字通り総てが強固に装甲化されているのである。
ドーリーに載せたまま、整備兵が機体各部の最終点検を行う。その光景を見ながら、ファルケ乗り達がのんびりと歩いてくる。
ファルケ乗りの一人──霧山千明中尉は、朝の冷たい空気を味わうように口の中でくゆらせると、子供のような笑顔で白い息を吐いた。そして、いつもの微笑を顔に浮かべる。
耐寒・耐火性能を重視したフライトスーツにGスーツを装着し、手にはニーボードと小型の端末をさげている。体格の良いパイロットでも、かさばる飛行装具をまとい、見かけより重い端末をぶら下げ、歩きにくいブーツを履いたまま、滑りやすい氷の上を歩くのはやっかいなことである。しかし、彼女は優雅な身のこなしで、掃き残された雪の上に足跡も残さずに歩く。
機付長が視線を送ってくる。何の問題も無いという意味だ。それでも中尉は機体の周りを歩き、自分の眼と手で確認することを怠らない。機付長の准尉は飛行隊の整備兵の中でも抜群の腕を持っており、特に反重力機関の調整に関しては、すべてを任されていた。
「いつものように調律は完璧」
「ご苦労様」
機体中央に装備された35mm機関砲の砲口を一撫でする。ジンクスを信じてはいなかったが、これをやらないと落ち着かなかった。長い黒髪を無造作にまとめあげ、軽い身のこなしでドーリーに飛び乗る。左前胴の上に乗り、機体上面のチェックを行う。
機体の左側面にはオレンジ色で奇怪な魚の絵が大きく描かれている。数億年前の地球の海に君臨した甲冑魚ダンクレオステウス。その顎は、水中に生息したあらゆる生物の中で最も強力なものと言われている。絵を指先でなぞり、その指を舐める。
飛行前のいつもの儀式を終えると、コクピットに身を沈めた。戦闘機の常で、ファルケのコクピットも非常に狭く、小さなバスタブぐらいの容積しかない。さらに本来窓である部分にも計器盤が配置され、航空機というより戦車の中という感じである。
シートに座り、ショルダーハーネスと耐Gホース、フライトスーツのテレメータコードを接続する。緊急脱出時に脚をシートに引きつけるためのハーネスを足首に装着する。これを忘れると、射出時に脚を計器盤に食われることになる。といっても、未だに機密扱いとなっているファルケから射出脱出することは禁止されていた。パイロットは意識がある限り機体を不時着させ、回収を待つか、回収が望み薄の場合は確実に自爆させねばならなかった。テレメータがパイロットが死亡したことを示すと、自動的に自爆するようにもなっていた。ニーボードを左腿に装着し端末を固定、機載コンピュータに接続。
機付長がスカルキャップ、ヘルメットの順に手渡す。切りそろえた前髪を指で揃えると、キャップとヘルメットを被り、マウンテッド・ディスプレイが付いているヘルメットと機内システムを接続する。
中枢コンピュータ起動。自動的に点検が行われる。システム異常なし。
前後3基の反重力機関のセルフチェック。コンソール下部中央にある、多目的ディスプレイに結果が表示される。オールグリーン。
マスターアームチェック。機関砲と照準装置の同調に問題無し。火器管制装置に腿の上の端末からテスト情報を入力し、光学・赤外線・レーザの各照準モードをチェック。各弾倉の搭載弾薬と弾種を確認。バーストプログラムと装填装置との同調も問題無し。弾薬は未装填状態。
腕を機体の外に出し、親指を立て、各部異常無しをコール。機付長も機体に接続された端末でダブルチェックを行っている。准尉から問題を告げるコールは無い。
機付長が右手を上げる。右前胴に搭載されたエンジンを起動。このエンジンは小型のジェットエンジンであり、油圧と反重力機関への電力を供給するのが役目であった。回転数が上昇し、排気が下部の排気管から吐き出される。発電機はジェットエンジンの機械的動力と、高速の排気ガスを利用した排気タービンによって動く。准尉が左手を上げる。同様に左エンジンも始動。
ドーリーから機体への電力と空気を供給していたパワーコードが外される。ファルケは独力で活動を始める。
発電システムとフライホイールバッテリーを接続。機体各部に計48基搭載された全バッテリーの稼動状態を示すライトが流れるように点灯。オールグリーン。
反重力機関に動力を伝達。甲高い羽音のような小さな音が聞こえてくる。機内環境の警告ライトは緑のまま。人体に影響のある電磁パルスは確実に遮断されている。
通信、航法両システムに異常なし。管制と作戦参加機とのデータリンク完了。スタビライザー展開。慣性航法装置と高度計に現在値を入力。
機関砲からアーミングピンが外される。中枢コンが安全装置確認の警報を発する。マスターアームスイッチをオフになっていることを確認。
『よい狩りを』
機付長が機体との通信装置のジャックを引き抜いた。
管制より離陸許可が下りる。整備兵が退避し、替わりに黄色のヘルメットに青いベストの誘導員が機体の前に立つ。
ハッチを閉じる。コクピット内は、各ディスプレイとコーションライトだけの明かりでわずかに照らし出されるだけとなる。
間接視認システム始動。そんなことは無いと知識では知っていても、後頭部に微細な針がめり込む感覚。視界を占めていた闇が一瞬にして払われ、機体の周囲が「見える」ようになる。
機体各部に搭載された光学系センサが捉えた情報を、脳の視神経に直接投影するのが「間接視認システム」であった。自分の身体や機体は半透明に、その向こうに外の景色が見えるのだ。設定を変更することによって、後や尻の下の景色も同時に「見る」こともでき、設定はパイロットが自由に変更することができる。
ヘルメットバイザーを下ろし、HMSD(ヘルメット装着式照準表示装置)と呼んでいるマルチディスプレイの情報が「眼」で読み取れるようにする。間接視認システムの同調量を調整し、バイザーと機体の「透明度」を最適なものにする。機体および肉体そのものを全く見えないようにすることもできたが、パイロットへの精神的影響があるため、完全透明化は禁止されていた。
遼機がドーリーから直接離陸した。ファルケに滑走路はいらない。
誘導員が指を一本だけ立て、機体前部の反重力機関の出力を上げるように身振りで示す。指示通りにスロットルを押し込み、出力を上げる。ドーリーのラッチが外れ、機体前方が軽く浮き上がる。左右が同様に浮揚しているのを確認した誘導員が二本目の指を立てる。後部機関に鞭を入れ、機体をドーリー上に浮揚させる。
ヘリやホバー機と違い、浮き上がったファルケは驚くほど安定しており、左右に大きく揺れることは無い。完全に空中に静止することもできた。誘導員が立てた指を前方に振り下ろす。出力をアイドルからミリタリーへ。ファルケは解き放たれた猟犬のように空へ舞い上がった。
1000mほどまで上昇するとスロットルを戻し、巡航にはいる。機体の浮遊と前後左右への機動のすべては、反重力機関の重力制御によって行われているが、ファルケ乗りの多くが、どのように飛んでいるのかを理解していなかった。正確にいえば、任意の方向へ「落下」しているのであるが、そんなことはどうでもよかったのだ。パイロットにとって飛んでいることに変わりが無い。原理的には無限に加速することが可能であったが、機体の空気抵抗や発電用ジェットエンジンの吸気システムが超音速飛行に適していないため、亜音速での飛行が限界であった。
離陸した4機のファルケは小隊ごとにわかれ、緩やかな編隊を組み、それぞれの受け持ち地域へと向った。霧山中尉が指揮するのは第2小隊、列機はアンコネン少尉。
機関砲の安全装置を解除。試射を行う。第一から第三までの弾倉から、順繰りに試射用のクリーニング弾が装弾、発射される。作動に問題は無い。再び安全装置をかける。
『シカ2よりカルフ3』
「カルフ3、受信」
先行して偵察中のJ40から通信が入った。シカ(豚)は、第1中隊のJ40のコールサインで、カルフ(熊)はファルケのコールサインだ。
『情報どおりの目標を目視で確認。B2型貨物列車。目視確認できる対空貨車は4輌。上空援護機、随伴部隊は確認できない』
「カルフ3、了解」
霧山は端末のキーをいくつか叩いた。衛星を介したデータリンクによって、遼機に情報が伝えられる。編隊を組む少尉がブリーフィングどおりに高度を上げた。逆に中尉は高度を一気にさげ、梢の高さを飛ぶ。
普通の人から見れば、雪で覆われた森と青白く凍った湖沼が延々と続く風景は、単調に見えることだろう。しかし、ラップランドの空を開戦直後から飛んでいる霧山たちにとって、森や湖沼一つ一つには違いがあり、自分の現在位置を知る為の道標になっている。
アンコネン機の索敵センサが巨大な目標を捉える。今日の攻撃目標は、何度も叩いているシュトラール軍の貨物列車だった。貨物列車とはいえ、戦闘能力を有する装甲列車であり、対地攻撃能力が劣るJ40では返り討ちにあう危険性が高い標的だった。
感圧式フライトスティックにわずかな力をかけ、機体を下降させる。積雪の残る木々の空間を、魚のようにすり抜ける。緑と黒で上面を迷彩し、下部を白く塗ったファルケは、水草の間を泳ぐ魚のようだ。魚といっても、渓流を泳ぐような優美さはない。全身を板皮で覆われた古代魚のそれであった。あらゆる対空兵器を寄せつけぬ外殻と、強烈な攻撃力を有するファルケは、シュトラール軍から空を奪い、地上に恐怖を振りまく為に29世紀の空に復活した甲冑魚であった。
木々の間を抜け、待ち伏せ地点へと移動する。飛行そのものに空気の流れを使わないファルケは、雪を巻き上げたり、梢を揺らしたりすることはない。間接視認システムと、各センサの情報を元に機体を制御するフライトコンピュータのお陰で、木々に接触することも無かった。
待ち伏せ位置についたことを無線スイッチを二回押すことで告げる。この合図で、J40が突進を開始する。
貨物列車が猛烈な汽笛を発する。列車自体には乗員が乗っていないが、随伴する有人部隊があった場合、それらに警告するためであった。J40は、わざと列車のセンサに引っかかるように高度をあげ、対空砲火の射程外から申し訳程度の小型爆弾を投下する。投下された爆弾は、線路を大きく飛び越し、氷を突き破り、沼に大きな水煙を上げる。
攻撃を受けた列車が停止する。列車を遠隔操作しているオペレーターが、その場に踏み止まっての対空戦闘を選択したのだ。対空砲の射程は、J40の搭載する機関銃のそれをはるかに上回っており、J40相手ではその判断は間違っていなかった。
アンコネン少尉の位置を確認する。欺瞞攻撃のダイブを繰り返すJ40の上空にあり、警報を聞きつけてスクランブルしてくるシュトラール軍の戦闘機を警戒している。
マスターアーム、オン。多目的前方監視装置と機関砲の機関部下部に装備された複合シーカーが目標を捜索。機体を梢の上にまで上昇させ、目標を目視できる位置に滞空する。
貨物列車は湖岸の土手の上に停まっていた。対空銃塔を装備する装甲対空貨車を三重連の機関車の前後と編成の後部に配した、50輌編成の標準的なタイプだった。電子妨害装置を作動させ、敵の対空レーダーをジャミングする。
シーカーが目標を捉え、光学情報から中枢コンピュータが脅威の順位を判定し、HMDに表示する。脅威の順に、赤、オレンジ、黄色、青で分けられた標的の中から、霧山は赤い円で囲まれた銃塔に照準するように視線で入力する。レーザ照準機作動。目標ロック。弾種選択、通常弾。装甲されているとはいえ、大きな打撃力を持つ35mm弾に耐えられないと判断。4発バースト。
フライトスティックのアーマメントトリガーを引き絞る。機関砲作動。曳光榴弾、焼夷徹甲弾、榴弾、焼夷榴弾の4発セットが回転式チャンバに順に送り込まれ、一瞬にして発射される。自分の対空砲の射程外から狙い撃たれた銃塔は、反撃の間もなく破壊される。
すぐさま視線を次の目標移し、照準すると、続けざまに射弾を送り出した。4発の砲弾はわずか0.25秒で発射され、強烈な反動は駐退機と、砲身を支える4本のショックアブソーバーに大部分が吸収される。そうでなくとも、重力を制御できるファルケは射撃時にも微動だにもしない。
すべての対空貨車が沈黙し、機関車も動力部を撃ち抜かれて動けなくなる。こうなるともはやまな板の上の鯉同然であった。貨車列に照準を変え、砲弾を叩き込んだ。可燃性の物資が発火し、爆煙が巻き上がる。
警報が鳴る。スクランブルしてきたシュトラール軍の戦闘機をアンコネン機が捉えたのだ。
『警報。敵機4、接近中』
「了解。BDA(損害効果判定)を頼むわ。離脱する」
重い長砲身砲をぶら下げた機体は、空戦では不利であった。森の中に降下し、狩りを終えた狐のように、来た道と違う進路を取って帰投する。少尉とJ40も、シュトラールの連中が来る前に離脱する。素早く攻撃をし、さっさと離脱するのがここでの流儀だった。空戦での勝利に意味はないのだ。
ある程度飛ぶと高度を上げる。眼下の森は味方の勢力下にあり、地球独立民兵軍の部隊が各拠点に配置されていた。しかし、この民兵軍が悩みの種であった。
視界の隅に鮮やかな光の線が昇ってくるのが見えた。花火のように見えるが、それは対空機関銃の曳光弾の流れだった。民兵軍の兵士は、寒さと単調な任務に耐える為にいつも飲んだくれており、飛行機と見ると無差別にぶっ放してくるのだ。
たまに対空ミサイルの照準レーダー波を浴びせられることもあった。今までに損害といった損害もなく、ミサイルは敵味方識別装置を作動させていれば何ということも無かったが、飛ぶたびに撃たれるのではたまったものではない。傭兵軍の青色の識別帯を機体に施しても無駄であった。なので、いっそのこととラップランドの傭兵軍航空隊はシュトラール軍と同じ黄色の識別帯を施すことにした。少なくともシュトラール軍から撃たれないようにと、考えたのだ。この目論みは一時期成功したが、今度はシュトラール軍航空部隊が識別帯を青に変えるということになり、ここでは識別帯の逆転現象が起こっていた。
民兵軍のいつもの酔っ払った対空射撃をかわし、基地へと向う。基地の上空には警戒配置のJ40が舞っていた。識別のためのバンクを振り、J40も返してくる。
ホバー戦闘機とは格段に違う滞空性能を持つファルケの着陸は、地面に下ろすだけならば簡単である。しかし、地上移動の機能がある着陸装置を持たないファルケは、ドーリー上に正確に着陸させる必要があった。それも中枢コンにオートランディングを命じればすむ話であり、モードを切り変えると機体のセンサがドーリーのセンサとリンク、風向などを自動補正し、精確にドーリー上にファルケを着陸させることができた。誘導員の仕事は、機械的故障の有無の確認、着陸システムに異物が紛れ込むことに注意しているだけだ。
着地するとドーリーのラッチが作動、固定を確認すると反重力機関を停止、続いて発電エンジンを左右の順に停止させる。ハッチオープン、間接視認システムを停止させ、ヘルメットを脱ぐ。
任務完了。次の出撃のために機体を整備兵に引き渡す。
『軍隊は胃袋で動く』とある高名な司令官が喝破したように、軍隊にとって補給は、戦力を維持するために重要なものであった。いくら強力な火力を有していても、それらが消費する弾薬、操作する人間の糧食、車輌を動かす燃料、あらゆる消耗品が無ければ無意味である。幾多の強兵達が補給を失うことによって敗北していったことを歴史は記録している。
シュトラール軍のロシア方面への補給は、地球への進駐当初は勢力下にあったシベリア方面から行われていたが、2884年3月にラップランドのコラ半島を制圧すると、補給はブリテン島からの海路も併用されるようになった。ブリテン島からの補給量は、開始1年でシベリアからのそれを大きく上回り、ほぼ依存するまでとなった。指令船により遠隔操作されるロボット船に積載された物資は、ムルマンスクかアルハンゲリスクに陸揚げされ、白海が氷で閉ざされる時期は、すべてがムルマンスクに集積された。両港からは鉄道を使い、ロシア方面の要衝であるペテロブルグに輸送、そこからロシアや東欧に展開する諸部隊に供給されていた。
ムルマンスク鉄道により補給物資が輸送されていることを察知した傭兵軍は、コラ半島の奪還を目指すと同時に、鉄道の遮断を目論んだ。しかし、主戦線であるオーストラリア方面への戦力集中のため、北欧方面へ回すことのできる地上部隊は無く、作戦は無期延期状態となっていた。そのため、航空戦力による鉄道に対する反復攻撃が企図された。第51戦闘航空団所属の第24、26、28戦闘飛行隊(定数各24機)がラドガ湖に面した地域に配備され、この任につくこととなった。鉄道攻撃は2884年夏から行われ、かなりの量の物資がペテルブルグ到着寸前に破壊された。シュトラール軍は、損害は大きかったが物資の輸送を止めるわけにもいかず、制空航空隊や対空部隊を送り込み、傭兵軍の攻撃に対抗していた。
『シカ1よりカルフ3。お客さんだ。注文の品を届けてやれ』
「カルフ3、受信」
スロットルを押し込み、霧山中尉はJ40を上昇させる。4基のバーニアが吐き出す噴流で周囲に雪の嵐が吹き荒れる。
森の中の掩蔽壕から舞い上がったJ40(S)は、雪嵐を振り切るように梢の上まで上昇すると、推進バーニアを吹かして素早く前進する。
防弾ガラスを兼ねたHUDに目標が表示される。無人の保線車輌。霧山は口元に不満げな表情を浮かべる。貴重な砲弾を使うには価値の低い目標だった。
保線車輌の最後部に組み込まれた対空車輌がパラパラと機関銃弾を撃ちあげてくる。コストを抑えるために旧式の小口径機関銃を4挺並べただけのものだった。シュトラール軍とてすべての部隊に最新鋭の装備を与えることなどできなかった。
機関砲の安全装置を外す。J40の小さな機首に文字通りねじ込まれた機関砲は、これまたえらく旧式な40mm対戦車砲を改造したものだった。機関部は座席の下にあり、暴発したら一巻の終わりである。電動装填装置が作動し、イラつくほどゆっくりとしたテンポで砲弾が薬室に送り込まれる。
操縦桿を小刻みに動かして機体を安定させる。砲はジャイロ式照準機による照準のみ。小型軽量のJ40には、火器管制コンピュータなど最初から搭載されていなかった。
トリガーを引く。野太い音と共に砲弾が発射される。真っ赤な発射炎が吐き出され、衝撃がキャノピを震わせる。
薬莢が蹴りだされ、イスのフレームに衝突してから後部のカートキャッチャーに転がっていく。薬莢は再利用されるのだ。傭兵軍もシュトラール軍同様物資が不足していた。
放たれた砲弾は対空貨車を捉え、線路から弾き飛ばした。
『カルフ3、いい射撃だ』
装填装置が思い出したかのように座席の下で作動する。線路上には機関車と保線車輌しかいなかったが、それらも燃やしてやることに決めた。シュトラール軍の財布が少しでも傷めばいいのだ。
一人の人間が傭兵になるのには、様々な理由があった。多くは貧困や差別、宗教的対立からの迫害や、奴隷的労働による死などから逃げ出すためであった。戦いによる死の危険はあったが、故郷にそのまま残るよりは、よりよい生活ができたからである。もちろん、己の冒険心を満たす為や、単純に破壊や他者の命を奪うことに快感を覚えるからという者もいる。
霧山千明が傭兵となったのは、一種の狂信的動機からであった。
霧山が生まれ育ったのは、リムワールドと呼ばれる銀河辺境にある植民星──クレイタウンと呼ばれる地球型惑星は、人類の最大到達点と言われるところで、植民者の多くは居住可能惑星を捜すために宇宙を飛び回り、疲れきった探検者たちの末裔であった。
人類の期待を一心に背負って宇宙に出た先駆者たちの血は、世代を経るごとに逆に地球への回帰を願うようになっていた。星では植民船が運んでいた地球文化の膨大なライブラリは変容しないように大切に保存され、人々も地球人としての誇りを保つようにしていた。人種的融合が出来うる限り起こらないように配慮され、それぞれの人種によるコミュニティが維持されていた。霧山自身も先祖が作り上げた文字で自らの名を記すということにこだわりを持っていた。
彼らは、地球の地を踏むということに人生を賭けていた。それは宗教的熱狂を伴い、機会されあれば、誰もが宇宙へと飛び出し、「地球への帰還」のみを考えた。多くがその願いを叶える途中で死に、出発した者は誰も帰ってこなかった。それでも、星の人々は地球を目指した。
霧山も帰還を望んだ一人だった。物心ついた頃から空を飛ぶことを学び、中学校を卒業する頃には一人前のパイロットになっていた。卒業と同時に星を出て、一光秒でも地球に近づくように職を転々とした。
転機が訪れたのは、第二次惑星間戦争が終わった頃だった。多くの兵員を失ったシュトラール軍が、植民星でのパイロットを大量募集したのである。それが植民星における暴動鎮圧や、紛争に駆り出されることであることがわかっていても、迷いはなかった。そして、その判断は正しかった。シュトラール共和国は地球の委任統治を任され、霧山は武装警察部隊に航空支援を行う外人部隊航空隊の一員として地球へ派遣されたのである。
地球へたどり着いた霧山の願いはさらに強くなった。このまま地球に残り、父祖の地に戻ること。核戦争によって破壊されているとはいえ、そこに戻り「日本人」という民族が今も生き残っていることを宇宙に示すこと。それが願いであった。
地球独立臨時政府を名乗る武装集団が接触してきた時、霧山は迷わなかった。外人部隊の傭兵達に提示された条件の中にあった、地球独立が成った後に市民権を交付するという項目だけで十分だった。機体ごと脱走し、寝返るということに何の抵抗も感じなかった。
空を飛び、シュトラール軍に対して銃爆撃を加える日々が始まった。目的は生き残り、そして地球に居住すること。そのためには戦果を挙げなくてはならない。一人でも多くの敵を倒し、一つでも多く価値のある目標を叩き潰すことが、何よりも大事な事だった。
基地に戻ると滑走路は人であふれていた。滑走路といっても、凍った湖に過ぎない。基地はシュトラール軍に発見されることを避けるために頻繁に移動を繰り返していた。機材の多くは自走式で、兵舎はトレーラーに搭載された居住ユニットだった。周囲に豊富にある樹木を使った半地下式ログハウスが作られるが、あくまで一時的であり、移動のたびに破壊・放棄された。
「今日の目標はそんなに重要だったの?」
『そんなことは無いのは、おまえが一番知ってるだろ?』
誘導と護衛を任務とするシカ1に乗るマンティラ大尉から返事が返ってくる。よく見ると、滑走路上の人々はこちらを見てはいなかった。滑走路脇にある何かに視線を向けていた。
『俺たちが敵だったらどうするつもりだ?』
そういう大尉だったが、声は笑っていた。シュトラール軍の航空機にはここまでの航続力はない。空中戦に向かない大砲を積んだ霧山機が先に着地し、その後に大尉機がふわりと舞い降りる。
キャノピを開くと、機付長が駆け寄ってきた。
「何があったの?」
「新型機。さっきついたばっかり」
ハーネスを外し、重い防弾ヘルメットを外しながら指差す方を向く。そこには、緑色に塗られた奇妙な形をしたモノが6機並んでいた。
「あれは……」
「噂の装甲襲撃機、ファルケよ」
輸送用車輌に載せられたファルケの周りには、パイロットや整備兵が集まり口々に思いを吐き出しあっている。大尉も機体を降りるが早いか、ファルケに向かって駆け出していった。
戦力は拮抗しているとはいえ、総合的な錬度に劣る傭兵軍は、シュトラール軍の補給線を叩き続ける事によって、前線への部隊や物資の輸送を少しでも阻止する作戦を行わねばならなかった。広い戦区をカバーするには航空機による襲撃しかない。
傭兵軍の対地攻撃機は、J40に爆弾架やミサイル架を取り付けた戦闘爆撃機型か、機関銃を下ろして代わりに機関砲を搭載した襲撃機型だった。旧式化したJ40は戦闘機や地上目標からの反撃には弱かった。それでも代替機が出現するまではJ40で出撃するしかなかった。
2885年9月にファルケが登場すると、この重装甲戦闘機はこれらの任務にこそ必要であり、優先的に配備するべきだという現地指揮官たちの声が司令部に寄せられるようになった。とはいえ、ファルケの生産は始められたばかりであり、司令部としても主戦線の制空権確保に使うことを考えていた。
打算的な解決策として、主戦線以外に配備されている各航空団には数機単位で分散配置を行い、不満を和らげようとする提案がなされた。これにともないラップランドに展開する第51戦闘航空団には6機が配備されることになり、今までの戦果を考慮して第24戦闘飛行隊が配備先に選ばれた。
ファルケを受領した飛行隊は、早速パイロットの選定を行った。ファルケをフェリーしてきた技術飛行隊のテストパイロットの指導と、ドサ周りの貧乏劇団よろしくトレーラーに載せられて各地を回ってきたシミュレーターを使っての選抜を兼ねた訓練が行われた。
そこでパイロット達は、新型機に秘められた力と、今までの航空機とは違う、ファルケの異質さを味わうこととなった。
ファルケのパイロットになるには、それまでの空戦経験以上に、機体との親和性を求められたのである。飛行隊きっての名パイロットであり、ファルケ隊の指揮官に内定していたマンティラ大尉が、間接視認システムとの同調がうまくいかないのと、本人が外が見えない完全密閉のコクピットに嫌疑の目を向けたため転換要員から外されたほどである。
各中隊から6人が選抜された。その中に霧山の名前があった。親和性が高かった事と、対地支援での戦績が良いというのがその理由であった。
第2中隊が装備部隊となり、カルフネン大尉が中隊長に任命された。再編成を終えた中隊には、さっそく訓練を兼ねた哨戒任務が課せられた。
第24飛行隊に配備されたファルケには、1機だけ通常と違う機体があった。その機体は霧山の専用機となった。
霧山機は他のファルケとは違い、単砲身の35mm機関砲を搭載する特別仕様機であった。
設計段階よりファルケには大口径機関砲もしくはレーザガンの搭載が計画されていたが、設計時には搭載する武装が選定されていなかった。代わりに23mm多銃身機関砲を搭載して生産が開始されたが、対空・対地目標に対する威力不足が問題となった。この問題に対処する為、レーザーガンと大口径機関砲の開発を急ぐと同時に、すでに実用化されている転用可能な兵装の搭載が計画・実行された。
霧山機の搭載する機関砲は、野戦防空用にと数十セットがブラックマーケットで購入された対空機関砲を基にしたものであった。この対空砲は複数のセンサからの情報を受けて精密射撃を行う照準・射撃システムを持つものであり、固定運用もしくは車輌への搭載が前提とされていた。購入したのはよかったが、システムが余りにも専門的であったために前線部隊は持て余し、わずか数基が拠点の防御用に使われただけであった。この機関砲が倉庫で埃をかぶっていることを知った開発チームの武装担当者は、すべてのユニットをかき集めると、改造し、6機のファルケに搭載した。。
このようにして作られた改造対空砲搭載機であったが、戦場に到着した頃には、エクサイマーレーザーガンと、シュトラール軍の航空機用機関砲の設計図を盗んで作られた35mm機関砲が制式化されることが決定され、実戦テストそのものが無意味となってしまった。当然テストは中止され、単にファルケの追加配備という形となった。受け取った部隊では、不恰好で扱いづらく、長すぎて調整に手間が掛かる長砲身砲を嫌って、すぐに予備の23mm機関砲に換装してしまった。
しかし、重装甲目標への対地攻撃を任務としていた第51航空団の指揮ユニットは、この特別仕様機の有用性に期待をかけ、砲の予備パーツと専用弾薬を各地からかき集め、実戦運用することにした。何時来るかわからない新型機より、今ある機体を、という判断であった。
訓練はわずか5日で切り上げられた。戦況はわずかな余裕すら与えてくれなかったからである。
『警報! 警報! 敵地上部隊を捕捉。繰り返す、敵地上部隊を捕捉』
指揮車輌に取り付けられたスピーカーが割れた音でがなりたてる。すでに誰もがその事を知っていたが、指揮車の中で叫ぶ下士官は、自分が叫び続けることで出撃が速くなることを信じているようだった。J40があわただしく離陸していく。
霧山中尉は冷静に機体のチェックを行い、コクピットに潜り込む。
「弾薬の変更はまだ可能よ」
他のファルケの反重力機関の最終点検を終えた機付長が駆け寄ってくる。中枢コンが立ち上がり、火器管制システムを表示。弾倉内の弾薬を見る。
「第2弾倉を徹甲弾に交換して。対空弾は必要ないわ。何分でできる?」
「三分」
「急いで」
機関砲の左側に取り付けられた流線型の弾倉が外される。右側の円筒形の弾倉は徹甲弾専用であり、下部の大型弾倉には通常弾が満載されている。チェックを行い、発電用エンジンを始動。
「交換完了」
火器管制システムに変更内容を入力。自動的に機関砲のアライメントが修正される。
「よい狩りを」
「大物に期待してて」
ハッチを閉じる。今日の標的は、ここ半年以上無かったものである。シュトラール軍の地上部隊。確認されただけで、大型のホバータンクが5輌と小型車輌が4輌。重火器を装備していない民兵軍にそれらを止めることはできない。
『シカ1より全カルフへ』
先に離陸したJ40装備の第1中隊を率いるマンティラ少佐からだった。
『目視で敵を確認した。敵の目標は、我々の基地だ。すでに民兵軍の部隊は蹴散らされている。敵機捕捉。気をつけろ──エンゲージ!』
少佐機が敵機との空戦に入ったのである。地上部隊を食い止める任務は、ファルケ隊に課せされた。離陸。基地上空で編隊を組み、目標へ向う
『カルフ1よりカルフ3および5へ』
「カルフ3」
中隊長であるカルフネン大尉からの通信。中隊のファルケは全部で6機。いつもは4機で出撃を行うが、今日は全力出撃である。
『第2小隊と第3小隊は、対地攻撃を行え。目標及び戦闘指揮は任せる。こちらは第1中隊の援護に向う』
「了解」
霧山は、スロットルに取り付けられたトリガー状のスイッチを引き絞った。シートの後から低い唸るような音が聞こえた直後、機体が急加速する。速度が一気に800km/hを越える。
ファルケは機体後部に緊急加速用のエンジンを搭載しており、離脱時などに使用していた。霧山機は、重い機関砲を搭載して低空を長時間加速する必要があるため、通常のエンジンより大型で出力向上型のYa-400を搭載していた。このエンジンは一種の固体燃料ロケットエンジンで、高燃焼ペレットを連続燃焼させることによって長時間の加速を可能としていた。アンコネン少尉機は、援護位置についたまま距離を取って追ってくる。
前方の空に黒い煙が見えた。黒い蝿のような機影が互いを追い、曳光弾の筋を投げかけあっている。傭兵軍のJ40とシュトラール軍のPK40は全くの同型機であり、肉眼では区別が付かない。だが、多目的前方監視装置の光学センサは両者の識別帯を読み取り、HMSDに表示する。今のところ味方機に欠けはなかった。
敵機の追撃を振り切りながら観測を続ける戦闘偵察機から情報が入る。ホバータンクは、巧みに森を抜け、まっしぐらに基地へと向っていた。ホバータンクは、普通の車輌では通行不能な湖沼も突破可能であり、しかも今のように氷が張った状態では、それほど速度を落とす必要も無かった。もちろんここから先に味方の防御線は無い。
霧山の口元に凄惨な笑みが浮かぶ。自分が見つけたら、眼下の敵に逃げ場は無い。他者の生殺与奪を握った者だけが浮かべる笑みを貼り付けたまま機体の高度を下げる。動体センサが獲物を見つける。
森と沼の間にあるわずかな余地を拾いながら走るナッツロッカーの一群であった。白と灰色で迷彩された巨体が、時折氷を踏み割り、白い水煙を上げる。まるで鯨だ、と思う。
指はすでに火器の安全装置を解除していた。第1弾倉の徹甲弾を選択。4発バースト。装填完了。
目標は先頭を走るナッツだった。照準を車体後部のエンジン周りにロックし、トリガーを引き絞る。巨体を誇るナッツロッカーは、地上からの攻撃には強固な防御力を誇るが、その分上面の防御力は低くなっていた。特に車体後部のエンジンの冷却システムはほぼむき出しとなっており、弱点であった。
発射された徹甲弾は、立て続けに冷却システムの周辺に命中した。重金属弾芯は、30mmクラスの機関砲弾の直撃に耐えられるとされる上部装甲板を容易く貫通し、貫通直後に衝撃により粉末状になり自然発火、冷却システムを完全に破壊した。
先頭のナッツロッカーの速度が急激に低下する。それを避けた後続のナッツが速度を落とす。霧山は、エンジンを吹かして加速して旋回、側面を突く形で再度攻撃をかける。側面から狙うのは砲塔であった。攻撃力を奪えばあとは何とでも料理できる。
トリガーを二度引き絞る。半秒ほどで投射された8発の徹甲弾が砲塔を叩く。主装甲の貫通はならなかったが、外部に取り付けられているセンサとアンテナ群を削ぎ落とした。
後方にいたナッツロッカーの砲塔が旋回し、可動式のレーザーカノンを振り上げる。高速走行中でなおかつ飛行中の目標に対しては十分な威力を発揮できない。発射されたレーザは、霧山機の機体側面を軽く撫でただけに終わった。加速して射程外に逃れる。
『カルフ5より、カルフ3へ。小型ホバータンク4輌を撃破。大型車輌1輌を追撃中』
「こちらは大物が3輌いる。2輌は行動不能」
『了解。こちらは始末次第、そちらの援護に向う』
「それまでに片付けておくわ」
『ブレイク、スターボード』
レーダー感知装置の警報と同時にアンコネン少尉からの警告が来る。フットペダルを踏み込み、ベクトルを横移動に変更し、機体をロールさせずに横滑りさせる。振り返ることなく後ろを見ると、上空からPK40が突っ込んでくるのが見えた。その後にはJ40がつき、そのケツにPK40が、さらにファルケが続く。霧山にかわされたPK40が梢ぎりぎりで機首上げをする。そこに曳光弾の束が降り注ぎ、機体から破片が吹っ飛ぶ。撃たれたPK40は速度を落とし、その脇を追撃してきたJ40と追いかけるPK40がすり抜ける。しばらく煙を吹いて水平飛行していたPK40のキャノピが飛び、パイロットが射出された。機体は森に突っ込み、パイロットはパラシュートで近くの空き地に着地した。霧山中尉はその地点を光学シーカーで記録すると、情報を基地に送った。手の開いた要員がいれば、救出部隊が向うだろう。誰もいない冬の森は、死ぬのに容易な場所である。
J40とPK40が左右に分かれる。アンコネン機はPK40を追わず、J40の援護位置についたまま上昇する。空戦が目的では無いからだ。アンコネンが軽くバンクを振る。それにバンクを返しつつ、機体を水平に旋回させながら垂直に降下させる。
機関砲を対空射撃を行うために砲塔を旋回させているナッツロッカーに向け、3回のバースト射撃を叩き込む。数発が可動式レーザカノンを直撃し、命中弾の衝撃によって砲塔の旋回装置が破壊される。武装を破壊されたナッツは車体後部から煙幕を展開し姿を隠した。煙幕は光学はもちろん、レーザや赤外線を遮断するものでかなり有効であった。シーカーが目標をロスト。霧山は機体を急上昇させる。
真下から銃撃を受ける。対空機関砲を搭載したナッツロッカーからの射撃だった。素早く回避するが、一まとめの30mm機関砲弾が機体下部に命中する。右排気タービンに損傷。タービンと発電機を切り離し、バッテリーを接続する。反重力機関に損害は無いようで、飛行に問題はなかった。
左右に機体を振りながら降下。いつしか「木の葉落とし」と呼ばれるようになったファルケ独特の飛行で射線をかわし、距離を取る。
煙幕からナッツロッカーが顔を出す。機関砲弾がばら撒かれる。その背後で、最初に行動不能になったナッツが自爆した。
鋭いターンで切り返したあと、空中に停止。こんな機動をしてもGを感じることはない。コクピットは反重力機関が生み出す重力制御空間にあり、急旋回や引き起こしなどの高G機動時もパイロットにGの影響はなかったのだ。耐Gスーツは、緊急加速時や機体の限界Gに近い高Gに対応するために装着していた。
振動する砲身をアクチュエーターが素早く静止させ、徹甲弾を立て続けに発射する。砲塔に火花が散り、ナッツロッカーが一瞬仰け反るように揺れる。
ナッツロッカーの機関砲とレーザカノンがこちらを向く。敵の射撃レーダーにロックされた警報が鳴る。スロットルを全開。
垂直上昇。その寸前に機関砲弾とレーザが直撃する。衝撃。間接視認システムがアウト。視界が暗──
垂直上昇。機関砲弾とレーザの射撃をかわす。トリガーを引く。第1弾倉の徹甲弾が0になる。即座に第2弾倉からの給弾に切り替える。徹甲弾の射撃を続行。数十発の重金属弾に連打されたナッツロッカーが沈黙する。
まただ。と霧山は思った。
「ファルケ乗りは未来を見る」という噂があった。その兆候は試作機の試験飛行時より報告されていたが、すべての報告は意図的に無視されていた。だが、ファルケのパイロットたちは幾度と無く体験していた。未来を、これから訪れる未来か、訪れなかった未来を見た。
今は戦闘中だ。と霧山は一笑に付し、機体を操った。過ぎ去った過去を帳消しにしてくれるのであれば、これほど楽な事は無い。もしかしたら自分はもうすでに死んでいるかもしれなかったが、今操縦している自分がいるのだから自分は生きているわけで──また笑う。笑うしかなかった。
動かなくなったナッツロッカーが自爆、破片を盛大にぶちまけて炎上する。2輌のナッツロッカーが燃え、他のナッツは煙幕を展開しながら後退を始めていた。
『敵大型車輌が撤退を開始した。深追いするな』
空を見る。PK40が退却するナッツロッカーの上空を舞っている。味方機はあえて接触せず、小隊ごとに編隊を組むと基地に機首を向けた。
霧山機の横にアンコネン機が滑り込んでくる。J40であったら、キャノピ越しに挨拶を交わすところであったが、眼を向けた先にはファルケの姿しかない。しかも、見ているのは自分の眼ではないのだ。
中尉は軽く息を吐くと、いつもの微笑を浮かべた。自分をまともだと思えば、世界もまともなのだ。
「帰投する」
エンジンの轟音を響かせ、滑走路に戦闘機が着陸する。冷たい空気を切り裂き、車輪から粉雪を飛ばしながら滑走する。
エプロンで機体を止め、キャノピを開く。スポッティングドーリーが牽引架をつかみ、格納庫へ機体を曳いていく。マスクを外したパイロットは、呼気の冷たさに驚きの声を上げる。
W字型の独特の機体形状を持つZe145"ザラマンダー"重駆逐機が8機、ドーリーに曳かれながらエプロンを行進する。
ファルケに対抗するために、シュトラール軍が本格的な航空機である本機を急遽地球に持ち込んだのは、2885年末の事であった。超大国といえども大気圏内での大規模空戦の経験はほとんど無く、第二次惑星間紛争でもほとんど発生しなかった。紛争前後に設計された大気圏内航空機は、大気の密度が異なる惑星に対応しやすいホバータイプか、ヘリコプターに限られており、翼を使って飛ぶ機体は貨客・輸送機を除けば、ほとんど開発されていなかった。
しかし、長距離・長時間の飛行には揚力を利用できる大きな翼面積を持つ航空機が有利であり、シュトラール軍では植民星の警備用の「駆逐機」と呼ばれる長距離重武装の機体の開発が続けられていた。
ザラマンダーは、ほんの数年前に初飛行を終えた新型機であった。航宙船での輸送を考え、出来うる限り小さく、それでいて胴体内の容量を大きくすることが要求された結果、胴体と翼を一体化させ、エンジンは胴体容量を無駄にしないため翼に取り付けられた。操縦は主翼の前方、エンジン横に突き出た外翼と、垂直水平尾翼兼用の尾翼によって行われる。コクピット下部に4連装の1.5cm機関銃と3.5cm機関砲を固定装備し、胴体下部のパイロンに7.5cm無反動砲をはじめとした懸架式武装をできた。
地球に配備されたザラマンダーはノヴォトニー実験隊に配備され、初陣で傭兵軍が試験中だったHAFSゴブリンを撃破するという戦果をあげた。ゴブリンの試験が行われていた実験場はPK40では到達不可能なところにあり、まさに長距離攻撃を任務とする駆逐機としての本領を発揮した結果だった。
ノヴォトニー実験隊は次々と戦果を挙げ、J40はもちろん、それまで難しかったファルケの撃墜も記録した。同隊のエースであるヴェルター中尉が、一日でファルケ5機を撃墜破するという大戦果を挙げるに至ると、シュトラール空軍はザラマンダーの本格的運用を決定した。しかし、生産はシュトラール本星の空軍工廠ではなく、植民星の小規模工場で行われており、生産数及び輸送数は多くはなかった。ファルケの数に比べその数は少なかったが、ファルケキラーとして将兵の期待を受け、傭兵軍には恐れられていた。
ザラマンダーを装備する第12重駆逐飛行隊がラップランドに配備されたのは、同地区の傭兵軍航空隊を駆逐するためであった。それが一時的なことだとしても、白海の結氷期が終わるまでの間の輸送物資の安全を確保できることは重要なことであった。さらにそれまでの第61爆撃航空団に代わって、長距離爆撃が可能なPK240を主装備とする第10高速爆撃航空団が展開し、傭兵軍の航空基地そのものへの空爆を行うことが計画された。
ザラマンダーの戦域完熟訓練飛行と並行して、戦術偵察が行われるようになった。そして、シュトラール軍側は戦略を確実なものとするために、罠を仕掛けることにしたのである。
情報は、傭兵軍情報局よりもたらされた。その内容は、シュトラール軍がロシア方面に配備する新型の無人兵器を、ムルマンスク鉄道で輸送するというものであった。情報は複数の情報源からもたらされたため、確度は高いものと判断された。無人兵器そのものの内容は不明だったが、存在が噂されていた無人兵器部隊の指揮ユニットではないかと推測された。
傭兵軍にとって、目の前を通り抜ける美味しい獲物を指をくわえて見ているわけにはいかなかった。目標の各地点の通過時刻すらも判っており、情況は傭兵軍に有利であった。
三個飛行隊総てを投入する攻撃計画が立てられた。列車そのものへの攻撃は、第24飛行隊が担当し、第26/28両飛行隊は、列車上空で援護するであろうシュトラール軍戦闘機隊を掃討することとなった。
ムルマンスク港に潜入させている工作員は、シュトラール軍がPZ/M7566と呼ばれる機材を陸揚げし、特殊装甲貨車に積載したことを報告してきた。詳細は未だ判明していないが、警戒および防護措置の厳重さからよほどのものであると思われた。
傭兵軍将兵は神ならぬ身ゆえに気づくわけがなかったが、これがシュトラール軍が仕掛けた罠であった。わざと輸送計画を漏らし、工作員に確信をもたせるために本物の重要機材を用意した。いずれにせよこの機材はペテロブルグに運ぶ必要があったため、戦闘機による分厚いカバーが期待できる今作戦下での輸送が行われることになったのである。
両者の準備は着々と進められ、作戦は時間通りに始められた。列車は定刻どおりにムルマンスクを出発し、上空には線路沿いに臨時に作られた飛行場や、白海に配置された砕氷輸送船を改造した特設空母から出撃したPK40が代わる代わる護衛についた。
偵察機が接触を試みたが、ことごとく追い払われた。しかし、護衛機の動向と傍受された無線交信に注意していれば列車の位置を把握することは可能であった。
第24飛行隊のファルケは全機整備を終え、滑走路脇の森の中に並べられていた。胴体側面に流線型の外装式対地ミサイルランチャーが取り付けられ、搭載弾薬も徹甲弾の割合が増やされていた。
空の燃料缶をひっくり返して作った机に広げた将棋盤を挟んで霧山と機付長は向かい合っていた。時折偵察機が飛び立つ以外、基地は静まり返っていた。第24飛行隊の攻撃地点ははオネガ湖とラドガ湖の間の地峡であり、その地点へ列車が到着するにはまだ時間があった。
「緊張してる」
「誰が?」
「ここにいるみんな」
機付長はそう言う霧山の顔を見た。霧山はいつもの微笑を浮かべている。こんな状態を楽しんでいるようだ。だが、将棋の局面は全く見えていないようで、とんでもない手を打った。
「あなたも」
「そう?」
「いつになく緊張してるように見えるけど」
「いつもと変わらない。出撃を待つ前はこんなものよ」
「辛い仕事ね」
「あなたがやっている仕事も同じよ。あなたは直に敵と戦えない。私達を出撃させ、帰ってくるのを待つだけ。敵に殺される時もただ待つだけ。待つのは辛いでしょう」
「──そうね。待つのは辛いわ。特にあなたの帰りが遅いとやきもきする」
「新譜が手に入らなくなるから?」
「そうよ」
霧山は給料の大半を地球各地で発見され、マーケットに流される「書籍」の収集に充てていた。地球に住むことになったら、図書館を作ることを夢見ていた。機付長がかつては有名なバイオリニストだったと聞くと、遺されていた楽譜を集め、機付長に渡した。准尉は時間が空けば演奏を披露した。娯楽の少ない前線ではその行為は歓迎された。たとえ、准尉が自分を裏切った夫とその愛人をショットガンで撃ち殺した過去を持ち、官憲から逃げるために傭兵軍に入隊したとしても。
滑走路脇に出撃を待つパイロットがたむろしている。作業が終わったというのに、整備兵も機体の横から離れようとしていない。皆、何をするでなく、そのときが来るのをただ待っている。
「そう遠くない日に、地球は再生するわ。私はその時に立ち会いたいと思ってる」
手駒をもてあそびながら霧山は独り言のように歌う。
「再生の日へ、再会の地へ……」
時間が過ぎていく。
「──今日の獲物は大きいって聞いたけど?」
飛車で銀を弾き飛ばす。そんな飛車も桂馬の餌食となる。
「王は囮。いかにして王に群がる駒を狩るかが、それが今日の狩りよ」
機付長の顔色が変わる。霧山がファルケのコクピットの中で何かを見ていることは知っていた。ファルケの整備マニュアルの中にある極秘ファイル。そこには様々な信じられない現象を体験したパイロットたちの「症例」が載っていた。
ファルケ乗りたちはコクピットの中で「何か」を感じていたのだ。反重力機関が生み出す地球重力との隔離。間接視認システムによる脳へのアクセス。それらは、人間の中で最も複雑な器官である「脳」に異変を引き起こしていたのだ。
神を見た者。肉体の感覚を喪失し廃人となった者。他人の考えが流れ込んでくると叫び続けた者。身体が裏返るとつぶやきそのまま死んだ者──未来を見たと証言する者はそれらの中でも一番多かった。しかし、証言はそのまま黙殺され、ファルケは前線に配備され続けている。
「何を、見たの?」
霧山は歩の駒を持ったまま空を見上げていた。
「何が──」
「──徹甲弾を対空弾に変更して」
本作戦では装甲目標を攻撃するために第1、第2弾倉には徹甲弾が満載されていた。通常弾の弾倉の徹甲弾の割合も増やされ、対空戦闘は厳禁とされていた。
霧山の顔から笑みが消えた。何かを見ている。准尉は背中に冷たい汗がにじむのを感じた。霧山の右手が動く。フライトスティックを動かし、トリガーを引き絞る。
「第2弾倉の換装しかできないわ。予備の弾倉には徹甲弾が装填されているから、時間がかかる」
「やって。早く」
機付長は勢いよく立ち上がると、兵器庫に向って走った。
第28飛行隊のJ40がゆるやかな編隊を組んで飛ぶ。制空戦闘任務の6機が先行し、牽制のための対地ロケットを搭載した6機が続く。
『目標を目視で確認。上空に敵機無し』
「おかしいぞ。間違いないのか?」
『間違いない。情報どおりのE型貨物列車だ……何だ? 情報に無い装甲貨車が連結されている』
中隊長は戦術ディスプレイを見た。偵察機や司令部からの情報では、接触にはまだ時間があることになっている。複数の列車が走っているという報告も無い。目標はこれのはずだった。
何かがおかしい。中隊長は反射的に後を振り返った。
そこに敵機がいた。見たことも無い平べったい機影。機関砲の発射炎が見えた。反応する間も無く中隊長は戦死する。
3機のJ40が火達磨になる。上空から降下してきた4機のザラマンダーは、左右に散開したJ40を無視して、急旋回すると、慌てて編隊を乱した攻撃隊のJ40に襲い掛かった。機関砲の野太い発射音が響き、2機のJ40がすれ違いざまに爆散する。
中隊長を失い恐慌に陥った中隊は、ロケット弾を投棄し、バラバラに急降下して逃走を図った。そこに待ち構えていた列車が、濃密な対空射撃を浴びせかけてきた。1機が撃墜され、2機がかろうじて飛行可能なほどの損害を受ける。
わずか3分ほどの戦闘で、第28飛行隊の攻撃隊は全滅した。
偵察機が帰投してくる。滑走路が開けられ、偵察機はゆるやかに降下してくる。第26飛行隊は攻撃準備を完了し、偵察機が滑走路を出ると同時に、離陸を開始した。
この日の作戦は稼動全機による全力攻撃が予定されていた。さらに偵察任務に数機を割かねばならなかったため、飛行場上空の哨戒を行う機体はわずか2機となっていた。その哨戒機が、森の海の彼方に黒点を見つけた。
「警報! 敵機!」
黒点は見る見るうちに見慣れない機体に姿を変えた。敵機は高速で接近してくる。その後には、20を越える黒点が続いていた。
「なんだこいつは!」
本能的に機体を滑らすが、エイに似た高速機は距離を詰めてくると発砲した。曳光弾の流れがJ40を捉える。破片が飛び、黒煙が湧き上がる。爆発。操縦不能に陥った機体は森に向って落ちる。ザラマンダーのパイロットは、振り返ることなく速度を上げた。
サイレンが鳴り響く。整備兵が顔を上げ、誰かが指差す方向を見る。2機のザラマンダーが梢ぎりぎりに突っ込んでくる。離陸中のパイロットの何人かはそれに気づいた。しかし、弾薬と燃料で重い機体は速度が上がらない。高度と速度が無くては回避行動もとれない。
ザラマンダーが発砲した。機関砲弾が離陸中の機体を直撃する。滑走路に爆炎があがる。立ち上る爆煙の脇を抜けてザラマンダーは上昇。赤色の信号弾があげられ離陸が中止された。
離陸できたわずかな機体は、続いて飛来してきたPK40との乱戦に巻き込まれた。より高い位置から突っ込んでくるPK40にJ40は太刀打ちできず、逃走することしかできなかった。運良く垂直離陸によって飛び立てた機体も、交戦せずに逃げ出す。
「退避!」
地上員や離陸を中止した機体から飛び出したパイロットが退避壕に向って走る。頭上をPK240がフライパスし、集束爆弾を投げつけていく。ばら撒かれた小型爆弾が、機体や地上施設を破壊していく。わずかな対空砲が反撃するが、それも機関砲で狙い撃たれて沈黙する。
第26飛行隊は戦闘能力を失った。
第24飛行隊の攻撃隊が離陸する。ファルケも第1小隊の2機が離陸した。霧山中尉率いる第2小隊は、爆装J40とともに制空隊が護衛を蹴散らした後に突入することになっていた。
制空隊が基地上空で合流し、攻撃地点に向って飛んでいく。霧山はコクピットの中でその様子を眺めていた。
弾倉の交換はまだ終わっていなかった。マンティラ少佐はどうしたことかと怒りをあらわにしたが、カルフネン大尉はしばし考えたあと、作業続行を許可した。
出撃予定時間が迫っていた。
「おまたせ」
息を切らせた准尉がやってくる。後に台車を押す整備兵たち。弾倉を持ち上げ、すぐさま交換作業に入る。
中枢コンピュータ起動。システムチェック。マスターアーム、チェック。異常なし。ハッチ閉じ。間接視認システム作動。
突然サイレンが鳴り響いた。対空機関砲の発射音がそれに重なる。
火器管制システムが弾倉の装着完了を告げた。マスターアーム、オン。
「整備兵、さがれ!」
霧山は叫ぶ。
低空で突っ込んでくるザラマンダー。その胴体下から二発の大型対地ミサイルが放たれる。
管制レーダー、レーザ照準機作動。ドーリーからのパワーで反重力機関を作動させる。機首上げ。対空弾装填。
機付長がドーリーから飛び降り地面に伏せる。中枢コンピュータがミサイルの速度と飛行経路を分析、火器管制システムがミサイルと対空弾の交差時間を割り出し、自爆コードを作成。機関砲作動。16発バースト、3連射。マズルを通過時に、対空弾に自爆コードが入力される。
対地ミサイルが迫る。その前面に撃ち出された対空弾が精確なタイミングで自爆、1発当り250発のサイコロ型の投射体で弾幕を形成、濃密な破片網に突入した対地ミサイルは破壊される。
機首上げのまま、ドーリー上で旋回。管制トレーラーを狙う対地ミサイルの側方から同様の対空射撃。2斉射目の弾幕でミサイルを撃墜する。
エンジン始動。発電システム作動。
「緊急出撃する。迎撃コースを示せ」
パワーコードを引きちぎり、ファルケは自由になる。機首を上に向け、急上昇。高度を上げたところでロケットエンジンに点火し、さらに高度上げる。奇襲してきた2機のザラマンダーが急上昇していく。空力と大出力エンジンに物を言わせた猛烈な加速。ファルケでは追いつけない。
索敵レーダーが接近する敵機を捉える。PK40に護られたPK240の編隊。
「敵機捕捉。3時。高度1500。数20」
ザラマンダーと攻撃機の編隊を交互に見る。ザラマンダーが合流し、編隊を組む。これを食い止めねばならない。
『離陸する。中尉、その機体では空戦は無理だ。退避しろ』
アンコネン機と第3小隊が離陸する。出撃準備を終えていたJ40も、基地司令の判断で緊急迎撃発進する。
「ネガティブ。退避できない」
ザラマンダーが垂直旋回し、急降下してくる。離陸するJ40を狙っているのだ。攻撃進路上に向けて機関砲弾を発射する。長射程の機関砲の射弾を見たザラマンダーが身を翻す。
離陸したファルケとJ40は、外部兵装を切り離し身軽になる。ファルケは加速エンジンを全開にして高度を取る。J40は低空を飛び、速度を上げる。
霧山は酸素マスクを付け、バイザーを下ろした。眼にHMSDの表示が飛び込んでくる。2機の双発戦闘機は赤い円で囲まれ、最大の脅威と判断されていた。敵機の上昇力と水平速度は、ファルケのそれを大きく上回っていた。ザラマンダーは反転上昇し、上空で切り返す。急降下し一撃を加え、そのまま離脱する典型的な一撃離脱戦法だ。
機首を引き起こして投射面積を減らすと、そのまま水平に機体を滑らせる。その機動にザラマンダーは半ひねりをして追従してくる。射撃レーダーを先頭の機体にロックし、対空弾を発射する。撃墜が目的ではない。こちらは基地上空であるが、相手は攻撃後長距離を帰らねばならない。わずかな損傷でも攻撃を断念するだろうと読んだのだ。
機関砲弾が交錯する。ザラマンダーから放たれた1.5cm機関銃弾がファルケを連打する。炸裂弾の衝撃で、一瞬だけ間接視認システムがアウトするも、主装甲はそれらをことごとく弾き返した。対するザラマンダーも、対空弾が作り出す投射体の網に突入した。自爆タイミングがずれたために直撃は免れたものの、キャノピを砕かれ、水平尾翼に損傷を負った。
機体を倒し、機体重心の中心に旋回する。動きについてこれないザラマンダーは速度を上げて脇を通過する。追撃はしない。ザラマンダーは編隊を組みなおし、そのまま低空で離脱していく。
霧山機とザラマンダーの空戦を横目に、ファルケ隊は進攻してくるPK40とPK240の編隊に襲い掛かった。PK40はファルケの敵ではなく、鈍重なPK240はなおさらであった。PK240は慌てて爆弾を投棄、反転する。PK40は時間を稼ぐ為に展開、ファルケとJ40との交戦に入る。ファルケが水平姿勢のまま垂直上昇。PK40の眼前に躍り出ると、23mm機関砲を発砲。3機が瞬く間に撃墜される。敵機が散開する。それをJ40が追い、格闘戦に入る。
『カルフ3』
管制よりの入電。在空中のファルケのパイロットの中では霧山中尉が先任であった。
「カルフ3、受信」
『戦闘を中止し、ただちに帰還せよ』
戦術ディスプレイにメッセージが表示される。司令部はたった今、第26および第28飛行隊が受けた損害を知ったのである。
『第一次攻撃隊は帰還させた。作戦を変更する』
「了解。帰還する」
飛行場は慌しくなった。帰還した機体に弾薬と燃料を補充し、一部のJ40は上空警戒のために再出撃した。同時に、現在の基地を放棄し、予備の飛行場に移ることが決定された。
飛行隊司令は作戦の続行を決めた。残存兵力で空襲を実行し、作戦機は予備基地へ帰還するのだ。空襲のチャンスは一度だけ。それを逃せば、列車は敵の制空圏内に入ってしまい、強襲そのものが危険となる。
ファルケは列車上空の制空戦闘を担当し、J40が攻撃の主力となる。霧山はJ40隊の先陣を切って強襲し、列車の反撃能力を失わせる任務を命じられた。
時間は無かった。パイロットはコクピットに座ったまま軽い食事を摂った。補給が終わった機体から順次飛び立つ。カルフネン大尉機を先頭に、5機のファルケが編隊を組み飛び去る。その後に制空任務のJ40が続く。
霧山機も補給が終わる。ほぼ空になった対空弾の弾倉を外し、徹甲弾の弾倉を取り付けた。
『よい狩りを』
「私の本を頼むわ」
通話ジャックを外した機付長がウィンクしながら離れる。誘導員はいない。管制に離陸をコールし離陸する。戦闘上昇。先行する制空隊を追うために加速エンジンに点火。爆装したJ40の編隊ははるか後方に置き去りにされる。
第24飛行隊が出撃したほぼ同時刻に、シュトラール軍の空軍基地から6機のザラマンダーが離陸した。傭兵軍が罠にかかりつつも、全力を挙げて列車を攻撃しに来ると判断し、稼動全機を列車上空での戦闘に投入したのである。PK240は、存在が確認されている傭兵軍のすべての飛行場への空爆に回された。傭兵軍の航空部隊を空と陸で壊滅させる作戦である。
『目標を目視で確認。上空には敵戦闘機、約20。これ以上の接触は困難』
この通信を最後に偵察機は撃墜された。攻撃隊は待ち伏せされていることがわかっていながらも、頭から突っ込んでいった。
「コウモリは無視しろ。あの平べったいヤツを殺るぞ」
カルフネン大尉以下5機のファルケは、突っかかってくるPK40を垂直上昇でかわすと、上空に位置するザラマンダーに向かっていった。ファルケが舞い上がってくるのを見たザラマンダーは、頭を抑えるべく急降下してくる。最初の一撃をかわしたファルケがザラマンダーの尻に食いつこうと急旋回するも、ザラマンダーは加速して振り切る。北欧の冷たい空気の中に、真っ白な飛行機雲が交錯する。
霧山はその光景を額の上あたりで見ながら、梢の海スレスレを這うよう目標に向かう。装甲列車は森の中の線路を全速力で駆け抜けようとしていた。
マスターアーム、オン。シーカーを起動させ、すべてのパッシブセンサからの情報を脳に叩き込む。自分を見つけている敵機は今のところ存在していない。緑と黒で迷彩されたファルケは、見事に地形に溶け込んでいた。
第1中隊のJ40が、森の海から一斉に急上昇する。ファルケとザラマンダーの空戦に気をとられていたPK40に下から攻撃をかける。射撃を食らったPK40が蹴り上げられた犬のように跳ね上がり、破片を散らしながら落ちていく。
『2機編隊を維持しろ。手当たり次第ぶっ飛ばせ!』
マンティラ少佐が叫ぶ。PK40の群れを突き抜けた第1中隊に、上空からもう一隊のPK40が網をかぶせるように降下してくる。機関銃弾が互いに浴びせられ、致命傷を負った機体が森の海に消える。
ヘッドホンに警報音が響くと同時に、頭の後ろに敵機の姿が映る。J40の攻撃をかわして降下したPK40が、偶然霧山機を発見し、食いついてきたのだ。目を動かさずに後ろを見て、距離を測る。後方のPK40が発砲。曳光弾が機体を掠める。操縦桿を引き、同時に反重力機関のベクトルを変更する。機体横のスタビライザーが垂直になり急減速、ファルケは空中に止まりつつ上昇した。真下をPK40が駆け抜ける。素早くベクトルを戻し、前方を行く敵機に照準。通常弾の一連射を叩き込む。35mm機関砲弾の直撃を受けた機体はバラバラになる。
この小さな勝利は、多くの目をひきつけることになった。装甲列車の対空レーダーが霧山機を捉える。警報が大気に満ち、何機かの敵機が霧山を墜とすべく降下してくる。
霧山は敵機に一瞬だけ目をやる。数秒後の未来が目に映る。正面のやや上方。機関砲の砲口をそこに向け、数発の砲弾を送り出す。降下してきた機体と機関砲弾が交差し、被弾した機は石ころのように落ちていった。
霧山の口元が曲がる。悪魔の微笑み。すべての敵の、すべての未来が見える、のだ。
装甲列車の対空貨車が対空ミサイルを放ってきた。それらをまとめて叩き落し、さらに接近する。加速エンジンに点火。機関砲の保持限界まで加速する。
『カルフ3、上だ! 上を見ろ!』
上空からザラマンダーが降下してくる。胴体下にずらりと並んだ銃口が光って見える。
霧山は回避しなかった。どの未来にも逃げきれる未来はなかった。
機体前部からコクピットにかけて連続して着弾する。機体表面に張られていたラバー装甲が破壊されながらも機関砲弾の衝撃を吸収し、主要装甲の貫通を阻止した。しかし、コクピットハッチ上部のマウントサイトが破壊され、加速エンジンも数発被弾する。
視界の一部が欠ける。自分の目を失った錯覚。素早くメインカメラをTADSの光学カメラに切り替え、視界を維持する。エンジンに損傷。後部ロケットエンジンを停止。速度が落ちる。
攻撃してきたザラマンダーが脇を掠める。ザラマンダーの広い視界があるキャノピで覆われたコクピットの中のパイロットが、驚愕の面持ちでこちらを見ているのがわかった。3.5cm砲弾が直撃しているのにもかかわらず、ファルケは飛んでいるのだ。
サイトを対地攻撃モードに切り替える。装甲列車の姿が大写しになる。
機関車の後方に連結された貨車の中に、それはいた。ノイスポッターの頭部を醜く膨れ上がらせたようなセンサーユニットを砲塔に装着したナッツロッカー系のホバータンク。それは黙って運ばれてはいなかった。砲塔を旋回させ、こちらを見ていた。
「エンゲージ」
目標捕捉。弾種、徹甲弾。16発バースト、6連射。トリガーに指をかける。
貨車の上の怪物が発砲。1.5cm機関砲弾と中間赤外線レーザが浴びせかけられる。左前部に被弾。発電システムダウン。
トリガーを引き絞る。スタビライジングシステムに異常発生。発砲の反動で機軸がぶれる。右反重力機関の出力を調整して補正。
放たれた徹甲弾が目標を捕らえ損ねる。補正が間に合わない。反射的に機首を振る。
PZ/M7566が放った赤外線レーザが霧山機の機関砲を直撃する。大熱量を受けた砲身が歪み、内部を通過しようとしていた機関砲弾が爆発する。暴発を察知した火器管制システムが武装の放棄を選択。機関砲が爆発ボルトにより機体から弾き飛ばされる。
機体後部に被弾。追撃してきたザラマンダーの機関砲弾がエンジンを破壊する。
満身創痍のファルケは列車を飛び越える。PZ/M7566はファルケを見送ることなく、上空の空戦を記録し、指揮を執り続けていた。
警報が目と耳から飛び込んでくる。すでに安定した飛行は不可能であった。後方から迫っていたザラマンダーは、霧山機の墜落が確実と見て離脱していった。
操縦桿を引き、反重力機関の最後の力を使って森の木々をかわし、雪の積もった空き地に機体を滑り込ませた。
機体が止まるのと同時に、コクピットハッチを投棄し、ハーネスを外す。キャノピ枠の前縁に手をかけ、強引に立ち上がる。
ヘルメットに装着されていたコードが引っこ抜け、視界が元に戻る。
途端に目の中に雪の白と針葉樹の緑が飛び込んできた。あまりの衝撃に鼻から生暖かい血が流れ出した。
コクピットから転げ落ちるように外に出る。ヘルメットとマスクを乱暴に頭から引きはがし、雪の中に投げ捨てた。長い髪がヘルメットから流れ落ち、雪の白の中に黒い色が広がる。
鼻から垂れた血が雪を赤に染める。
霧山は膝立ちになると辺りを見回した。緑と白。空の青。血の赤。
鼻血をフライトグローブで拭う。そして、大声をあげて笑い出した。
何もかもが可笑しかった。笑わずにはいられなかった。
霧山は知っていたのだ。この攻撃が失敗することを。コクピットの中で、何度も攻撃を繰り返し、失敗し、撃墜された。どの未来を選んでも、先には失敗しかなかった。
それでも攻撃した。自分が見たその先を否定し、変えたかったのだ。
ひとしきり笑うと、立ち上がった。まだ仕事が残っていた。
コクピットの中からサバイバルキットを取り出し、自爆装置のスイッチを押す。自爆装置の作動を確認後、機体側面の収納スペースに収められていたスキーを履き、軽やかな身のこなしでその場を離れた。
しばらくして背後から爆発音が響いた。上空での戦闘はまだ続いていた。
第24飛行隊による攻撃は失敗した。2機のファルケと5機のJ40を失い、3人のパイロットが戦死した。
シュトラール軍も3機のザラマンダーと11機のPK40を鉄道上空での戦闘で撃墜破されたが、当初の目的を果たすことに成功し、南部ラップランドにおける傭兵軍の跳梁を数ヶ月に渡って停滞させたのである。
霧山はこの空戦の2週間後に仮設基地に帰還した。森の中でシュトラール軍の長距離偵察部隊をまく為に10日ばかり過ごし、空爆による自機の完全破壊を確認した後、友軍の犬ぞり偵察隊に拾われたのである。
「調律は完璧」
「わかってるわ」
機付長といつもの挨拶を交わす。機体をチェックしながら一巡りする。
そして、武装の砲口を一なでする。
流線型のポッドに納められた新兵器、エクサイマレーザーガン。
狭いコクピットに身を沈め、いつもの儀式を始める。
発電エンジン始動。機体各部の状況を確認。
武装のアーミングピンが外される。間接視認システム作動。機付長の笑顔が、夏の日差しの下に映える。
「私が帰ってくる頃には、荷物が届いているはずよ」
『中身は何?』
「先の事は知らない方がいいわ」
機付長が手を振りながら機から離れる。グレーを基調とした迷彩のファルケが舞い上がる。コクピットハッチの横に小さく描かれた甲冑魚。
『よい狩りを』